雑談・その他

東日本大震災から8年|筆者が東北の”いま”を発信し続ける理由

東日本大震災
なか
なか
なかひとりっぷの筆者、(@lbxxx3535)です!
鉄道一人旅をしながら東北の魅力を発信してます!

今回は「なぜ僕がこのブログを通して東北の今を発信し続けるのか?」ということについてお話していきます。

東日本大震災から8年が経ちましたね。

僕は普段、SNSやブログでは東北に関する旅行記やグルメなどを発信しています。

なぜ僕がここまで東北にこだわり続けるのか?

きっとそれを語る上で、東日本大震災は切っても切り離せない出来事です。

逆に言えば…東日本大震災がなければ、今の僕はいないのかもしれません。

これから話すことは、すべて公には初公開となる内容です。

今回は僕が東北にこだわり続ける思いを、僕の震災当時の記憶と共にお届けしていきます。

1.2011年3月11日の出来事

3月11日14時46分。

当時の出来事は、8年経った今でも忘れません。

なぜなら僕は、あのとき命を落としていたかもしれないからです。

現在、こうして生きているのが本当に不思議だと思ってます。

僕は当時、16歳の高校1年生。

バスケ部の一員として活動していましたが、右足を捻挫してしまっていたため僕だけ別メニューでの練習。

学校のトレーニング室にこもり、一人黙々とウェイトトレーニングをやっていたところでした。

そして…これまでに聞いたことのない激しい地響きと共に、そのときはやってきます。

まるでトランポリンのように波を打つ地面。僕は目を疑いました。

それと同時に、ダンベル、鉄棒、巨大なトレーニング器具…

様々な道具が勢い良く、ガタガタと落下してきます。

右足を怪我しているため身動きがうまく取れない僕は、 そのとき悟りました。

「あ、僕はここで死ぬんだ」…と。

目の前に40㎏のおもりがドンッと落ちてきた瞬間、目を閉じて本気で死を覚悟しました。

なんでこんなときに捻挫なんかしてるんだろう…

16年か…短い人生だったな…

葬式代でいくら取られるんだろう…

みんなに申し訳ない。

死ぬ直前というのは、もっと慌てふためくものなのかと思っていましたが…

こんなにも冷静なものなのかと。

なんだか不思議な感覚でした。

しかしそれから2分、3分…と、時間が経過。

そっと目を開けると、目の前には散らばったトレーニング器具の数々。

どうやら僕は…

奇跡的に一命をとりとめることができたようです。

揺れが少しずつおさまってきたタイミングで、右足を引きずりながら外へ出ました。

他の人達はすでに学校の中庭へ避難しているようでした。

避難した僕はすぐさま携帯電話のテレビ機能を使って、ニュース番組を見ることに。

そこで見たものに驚きを隠せませんでした。

「マグニチュード9.0」「震度7の巨大地震」

そして「大津波警報」という初めて耳にする言葉。

日本中が真っ赤な太字のラインで彩られた光景は、今でも鮮明に覚えています。

僕が当時いた高校は、車で10~15分ほどで海まで行けるような場所。

そして当時住んでいた街も同様の位置にありました。

大津波警報ともなれば、いつこの場所に津波がきてもおかしくありません。

しかし自分のことももちろんですが、それ以上に周りの人達のことが心配でした。

叔父は工場で勤務しているが、無事なのだろうか。

祖父は、祖母は今どこにいるのか。

母の会社は川が氾濫したらほぼ100%ゲームオーバーだ。

ちゃんと避難できているのだろうか。

友達はどうなんだ。海の近くに住んでいる人だっている。

無事を確認すべく、片っ端からメールを送ろうとしましたが…

なんとそこで圏外に。

肝心の携帯電話が使い物にならなくなってしまったのです。

その後は友達や家族のことを考える余裕なんてなく、ひたすら学校で避難者のケアに回っていました。

そして、僕が家に帰ったのはその日の深夜。

いえ、おそらく時刻は次の日を回っていたかもしれません。

僕はなんとかその日のうちに家に帰ることができ、さらに身内は無事だということがわかったので、とりあえずは一安心といったところでした。

そして後日…大津波が各地を襲ったことをラジオで知ることとなります。

幸い、僕のいた高校と自宅は津波の被害から免れることができました。

聞くところによると、本当にギリギリのところで津波が止まってくれたようです。

僕のいた高校のさらに海側には、また別の高校がありましたが…

津波により、その高校の校舎は全壊。

さらには、僕の当時住んでいた街も津波の被害に遭ってしまったとのことでした。

「本当なのか?」

「デマじゃないのか?」

「この目で確かめたい…でも…もし本当だったら…」

「やっぱり確かめたくない…」

1人、そんな葛藤をしていましたが…

今はとにかく、この状況でどう生活していくかを考えるのが先です。

この目で確かめるのは、それからだ…

そう思い、まずは自宅でやれるべきことをやろうと考えました。

2.震災時の生活

こうして、その日のうちに自宅に着いた僕。

懐中電灯ひとつの明かりだけが灯る家にいる感覚は、なんだかとても不思議でした。

電気、水道、ガス…すべてがストップ。

コンビニやスーパーはもちろんやっていません。

やっとの思いで開いているスーパーを1軒見つけたものの、なんと6個入りの肉団子のパックが1つ500円以上。

それを1つ購入し、それをその日の夕食にしました。

夕食が肉団子1個。

少ないようにも思えますが、被災時に肉を食べられるということだけでも僕にとっては十分でした。

そこから2~3週間ほどは、ガスコンロでお湯を沸かし、1日に1食カップラーメンを食べるという生活が続きます。

お風呂はもちろん入れず、週に一度だけ数少ない水を使って頭や顔を洗い流す程度。

自衛隊の方々が届けてくれる救援物資が、何よりも頼りでした。

その後、すべてのライフラインが復旧したのは1ヵ月後のこと。

部屋の明かりがついたときの感動は、本当に今でも忘れられません。

それまで水なし、電気なし、ガスなしでよく生活できたなと、今でも思います。

3.思い出が瓦礫の山となった日

震災から約1ヵ月後。

この頃になると、ようやく具体的にまとまった情報が入ってくるようになります。

ラジオのニュースによると、やはり僕の地元が津波の被害に遭ってしまったことは確かなようでした。

しかし、ラジオだけではどうしても情報に限界があります。

今、地元がどんな状態になっているのか?

ちゃんと自分の目でそれを確かめるべく、自転車で海へ向かいました。

そして実際にその光景を目にした僕は…

言葉を失ってしまいました。

家屋は倒壊し、橋は崩れ、思い出の場所はメチャクチャに。

大好きだった街並みは、一瞬にしてすべて奪われてしまいました。

まっさらになった街を自転車で回りましたが…

例えメチャクチャになっていても、どこに何があったかは不思議と全部分かってしまうんです。

「小さな頃、この道はよく通ったな…」

「そういえばつい先日、ここの商店のおばちゃんと話したな…」

「あの人とここに来て、こんな話をしたな…楽しかったな…」

そんな思い出の数々が鮮明によみがえってきます。

でも今、そこにあるのは…無数に散りばめられた瓦礫だけです。

本当にこれは現実なのだろうか?

夢じゃないのか?

日頃の行いが悪すぎて、バチが当たったのだろうか?

なんで?どうして?なぜこうなった?

そんなことを考えても意味がないのは分かってはいましたが…

やり場のない痛みを、悲しみを、どこにぶつければいいのかわからず…

ただただ、まっさらになった思い出の地を眺めることしかできませんでした。

4.東北にこだわり続ける思いとは?

種差海岸そして時は経ち、大学4年生。

僕は22歳の就活生となっていました。

この年に転機が訪れます。それがブログとの出会いです。

あの出来事以来、僕の中には「東北に貢献したい」「被災地のために何かしたい」という思いはあったものの、僕はどうしていくべきなのか…

考えがまったくまとまらずにいました。

それに就活や卒業論文の制作で、それどころじゃありませんでした。

そんないっぱいいっぱいのときに偶然見つけたのが、とある女子大生の旅ブログ。

そのブログがきっかけで僕は発信活動を始めるわけですが…

最初の頃の内容はただの一人旅日記のようなもので、今のテイストとはまったく違ったものでした。

「このブログを使って、僕にしかできないことってなんだろう?」

「僕が読者に伝えたいことって…」

「僕がこのブログを通して成し遂げたいことって…なんだろう?」

悩み抜いた末、出した答えが「被災地について発信すること」でした。

実は僕、ブログを始めるずっと前から被災地の定点観測はやっていたんです。

被災地がどんな状況になっているのか、ちゃんと自分の目で確かめたい…

自分の街がどんな復興の道のりを歩んでいるか、ちゃんと見届けたい…

そんな思いからやっていました。しかし…

自分が知るだけじゃダメだ。

もっと県外の色んな人にこの事実を知ってもらわなければいけない。

そして事実を伝えるだけではダメだ。

もっと被災地の人、景色、食べ物、鉄道…

そんな魅力の数々を発信して、観光客を沢山増やしていこう。

確かに以前ほどの活気はないかもしれないし、以前のような景色はそこには無いかもしれない。それでも…

この街にしかない良さが、立ち上がり始めた今だからこそ出せる良さが、ここにはあるはずなんだ。

東北と鉄道一人旅が大好きで、被災地を故郷にもち、そして今こうして発信している…

そんな僕だからこそ、宣伝できることがあるのではないだろうか?

そんな思いを込めて完成したブログが「東北ひとりっぷ」です。

5.被災地は活気に溢れている

気仙沼駅マスコミ、メディアでは、被災地に関してよくこんな風に取り上げられています。

「被災地はまだまだ道半ば」

「まだまだこんなにひどい状況なんだ」

僕はそれらのすべてを否定するわけではありません。

確かに完全復旧はまだまだ程遠いですし、ひどい思いをしている人も大勢います。

でも、僕が伝えたいのはそういうことだけじゃない。

東北の魅力を世の大勢の人に知ってもらい、ぜひ足を運んでもらいたいんです。

被災地訪問という気持ちで来てもらうというよりも、ただ純粋に観光を楽しむような感覚でふらっと来てもらいたいんです。

かまトロステーキ被災地の方々が今、どんな顔でお店を開いているかご存知ですか?

そこで働いている人達は、みんな…とても活気に溢れています。

笑顔で溢れています。日々強く生きています。

被災地は今、人々の活気で溢れています。

少なくともメディアなどで報道されているような、ネガティブなものばかりではないということだけでも知っていただきたいです。

6.気軽に東北に来てほしい

三陸の海鮮グルメぜひ気軽に東北に遊びに来ていただきたいです。

確かに傷が完全に癒えるまでにはまだまだ時間を要しますが、そんな中でも東北の人達は今日を強く生きています。

遠方からはるばる来たことが分かれば「よく来たなあ~」なんて優しく迎え入れてくれると思いますし、少なくとも僕は大歓迎したいです。

何なら、僕がいろんなところを案内したいくらいですもの。

だって自分の街にわざわざ遊びに来てくれたんですよ?

たくさん楽しんでほしいじゃないですか。

笑顔いっぱいの思い出を作ってほしいじゃないですか。

東北のとびっきり美味しい地酒、肉や魚、お米、フルーツ…

そんなものを温泉にでも入りながら堪能していただいて、純粋に東北を楽しんで帰ってもらえたらいいなと、そんな風に考えてます。

そんな旅行のお手伝いを、ブログやTwitterなどを通してできればと思います。

7.【まとめ】東日本大震災から8年|筆者が東北の”いま”を発信し続ける理由

以上、今回は僕が東北にこだわり続ける理由を、震災当時の記憶と共にお届けしてきました。

当ブログ「東北ひとりっぷ」を開設して、早数ヵ月。

ありがたいことにTwitterでは多くの方にフォローしていただき、以前と比べてブログも大勢の方に読んでいただけるようになりました。

そのおかげで収益も発生するようになりました。本当にありがたいことです。

このブログで発生した収益は、すべて現在の活動のために使わせていただいております。

将来的には、もっと東北のためにできることを増やしていきたいと思っています。

そのために今、できる限りのことをやっていくつもりです。

今これを見ているあなたが、思わず東北に訪れたくなってしまうような…

そんな記事を書き残していきます。

なか
なか
今後とも東北ひとりっぷの筆者、なか(@lbxxx3535)をよろしくお願いします!

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ちょっとした一言が、僕の活動の原動力になっていますので…

ぜひぜひよろしくお願いします!
それではまた!

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