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東日本大震災から9年。筆者が東北の”いま”を発信し続ける理由

東日本大震災から9年。筆者が東北の”いま”を発信し続ける理由

どうも、筆者のなか(@lbxxx3535)です。

東日本大震災から9年経ちました。

僕は1年半ほど前に当ブログ「東北旅びより」を立ち上げ、それ以降SNSやブログでは東北の旅行記やグルメなどをメインに発信していますが…

なぜ僕がここまで東北にこだわり続けるのか?

きっとそれを語る上で、東日本大震災は切っても切り離せない出来事です。

もしかしたら東日本大震災がなければ…

あの経験がなければ…

今の僕はいないのかもしれません。

今回は僕が東北にこだわり続ける思いを、震災当時の記憶と共にお届けしていきます。

あの日の出来事

2011年3月11日

2011年3月11日。

9年前のあの日、僕の地元は津波に飲まれました。

「マグニチュード9.0」「震度7の巨大地震」

「大津波警報」という初めて耳にする言葉。

画面の中の日本列島が真っ赤な太字のラインで彩られた光景。

今でも鮮明に思い出せます。

あのとき僕はまだ高校生で、ちょうど部活の真っ最中でした。

バスケ部だった僕は数日前に足を怪我してしまい、1人だけトレーニング室にこもり練習をしていたんですが…

14時46分。

その時が訪れます。

トランポリンのように揺れる地面。

ガタガタと勢いよく崩れ落ちる、大量のトレーニング器具。

足を引きずりながらなんとか外へ逃げ出したことは今でも忘れません。

もしかしたらあの時僕は、命を落としていたかもしれない…

そう思うと、こうして生きているのが本当に不思議です。

2011年3月12日

自宅に帰ったのは次の日の深夜。

電気もつかず、水も出ず、ガスも使えないので家はもちろん真っ暗。

リビングの扉を開けると、ロウソクの灯った部屋には祖父、祖母、母、叔父…

家族全員が揃っていました。

「よかった、みんな生きてた…」

母の会社は氾濫寸前と言われていた川の近くにあり、叔父は工場勤めだったので…

正直、何があってもいいように覚悟はしてたんです。

でもみんな生きてた。

身内の無事が分かった瞬間、ほっと胸をなでおろしました。

その日の夜ごはんは、ちょうど前の日に買っていたシュークリーム1個と、肉団子1個。

今思えば、とんでもない夜ごはんだなあって感じですが…

あの災害時に、何か食べるものがあるだけでも本当にありがたかったです。

2011年3月2×日

津波の被害状況をちゃんとこの目で見たのは、震災から数日後のこと。

その光景を見た瞬間、もう…何も言葉が出ませんでした。

ほんの少し前まで、本当にここに街があったんだろうか?

そう思ってしまうほどまっさらに、メチャクチャになっていました。

ズタボロになった鉄橋。

海水が浸る土地。

ヘリコプターと風の音だけが響く、かつての街。

思い出が一瞬にして瓦礫の山となった日。

「小さな頃、この道よく通ったな。」

「そういえばこの前、ここの商店のおばちゃんと話したな。無事だといいな。」

「あの人とここに来て、こんな話をしたな。楽しかったな。」

本当に不思議ですよね。

姿形が全部メチャクチャになっていても、ふと横を見ればだいたい何があったか分かってしまうんです。

悲しいほど鮮明に、思い出せてしまうんです。

本当にこれは現実なんだろうか?

日頃の行いが悪すぎて、バチが当たったんだろうか?

自分はなんて無力なんだろうか?

そんなことを思いながら、ただただ…

まっさらになった地を眺めることしかできませんでした。

筆者が東北にこだわり続ける理由

そして時は経ち大学4年生。

高校1年生だった僕は、22歳の就活生となっていました。

この年に転機が訪れます。それがブログとの出会いです。

このブログがきっかけで、僕は東北各地で旅をすることになります。

「東北の魅力を発信したい」

「大好きな東北のローカル線の良さをもっと広めたい」

そんな思いで続けていたブログですが、いつしか僕の記事を見て

「東北に行ってみたい!」

「このお店、今度行ってみるね!」

ありがたいことに、そういった声が届くようになりました。

僕のブログを見て、東北まで旅行に来てくれる…観光に来てくれる…

”僕がブログを続ける意味はここにある”

そう確信した瞬間でした。

「東北はまだまだ道半ば」

「こんなにもひどいんだ」

そんなことをメディアで言われ続けてた当時ですが、それだけじゃないんだってことを僕はどうしてもみんなに知ってほしかった。

確かに完全に復興したとは到底言い難いですし、課題だってまだまだ山積みです。

もちろんそれもちゃんと分かってます。

でも…

こんなにも美味しい食べ物があって、こんなにも優しい人達がいて、こんなにも美しい風景が広がっている。

実際に旅を通して感じた、そんな東北の素晴らしさを嘘になんてしたくなかった。

僕の発信を見て、実際にその地へ足を運んでくれる方々がいるのなら…

大好きな街のために少しでも役に立てるんだったら…

きっと僕がブログを続ける意味は、ここにあるんじゃないだろうか?

…これが、僕が東北を旅することにこだわり続ける理由のひとつでもあります。

被災地へ旅行に出向き、現地でお金を使うことだって立派な復興支援です。

旅行には本当に大きなパワーがあると信じているから。

1人1人の観光が、必ずその地域の力になると信じているから。

だからこそ、今こうやって発信し続けています。

【まとめ】東日本大震災から9年。筆者が東北の”いま”を発信し続ける理由

以上、今回は「東日本大震災から9年。筆者が東北の”いま”を発信し続ける理由」という内容でお届けしました。

当ブログ「東北旅びより」を開設して、早1年半。

ありがたいことにTwitterでは多くの方にフォローしていただき、以前と比べてブログも大勢の方に読んでいただけるようになりました。

これからも東北のために、今できる限りのことをやっていくつもりです。

とりあえずまずは1人のブロガーとして、記事を書き続けること。

今これを見ているあなたが、思わず東北に訪れたくなってしまうような…

そんな記事を書き残していきます。

ですので今後ともよろしくお願いします!

ではどうも、なか(@lbxxx3535)でした!

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