ここでは大船渡線(一ノ関駅~気仙沼駅)の全線乗車記をお届けします。
大船渡線は、岩手県一関市の一ノ関駅から宮城県気仙沼市の気仙沼駅までの62kmの区間を結ぶ路線。
まるで竜のように曲がりくねった線形から「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付けられています。
かつては一ノ関駅から気仙沼駅を経由し、盛駅までの100km以上の区間を結ぶ路線だった大船渡線。
2011年3月に発生した東日本大震災では、壊滅的な被害を受けることに。
あの震災から10年以上が経過した今、沿線はどのようになっているのでしょうか?
実際に行って確かめてみることにしました。
当ブログ「東北旅びより」では、以下の内容を紹介していきます。
- 大船渡線(一ノ関発 気仙沼行き)の旅行記
- 大船渡線の車窓の見どころ
ぜひ参考にしてみてくださいね。
大船渡線とは?
大船渡線は、岩手県一関市の一ノ関駅から宮城県気仙沼市の気仙沼駅までの62kmの区間を結ぶ路線。
まるで竜のように曲がりくねった線形から「ドラゴンレール大船渡線」という愛称が付けられています。
かつては一ノ関駅から気仙沼駅を経由し、盛駅までの100km以上の区間を結ぶ路線だった大船渡線。
2011年3月に発生した東日本大震災では、壊滅的な被害を受けることに。
特に沿岸部の気仙沼駅~盛駅間での被害は大きく、沿線のほとんどの駅舎や線路などが、津波で流されてしまいます。
一時は鉄道での復旧も考えられたものの
- 元から乗車人員が少ない区間であること
- 莫大な復旧費用がかかること
これらの観点から、鉄道でなくBRTで復旧させることに。
- バス・ラピッド・トランジット(バス高速輸送システム)の略
- バス専用道などを走ることで、路線バスよりも速達性、定時性を確保できる
- 震災以降に鉄道から転換した路線は気仙沼線BRT・大船渡線BRTの2つが挙げられる
関連記事【気仙沼線BRT 旅行記】震災から10年、現在の様子は?沿線を観光しつつ当時を振り返る
関連記事【大船渡線BRT 旅行記】震災から10年、津波で被災したバス区間の現在は?
- 一ノ関駅~気仙沼駅間:鉄道
- 気仙沼駅~盛駅間:BRT(バス)
現在は以上のような運行形態をとっていることから、大船渡市に行かない大船渡線となってしまったのです。
竜のような曲がりくねった線形から「ドラゴンレール」の愛称をもつ大船渡線。
どこもかしこもカーブだらけで、前面・後面展望がとにかく楽しすぎる… pic.twitter.com/9nA3RsMcUe
— なか@東北旅びより (@naka_travel) December 20, 2021
とにかく曲がりくねった線形が特徴的な大船渡線。
どこもかしこもカーブの連続で、前面・後面展望がよく映えます。
あの震災から10年以上が経過した今、沿線はどのようになっているのでしょうか?
実際に行って確かめてみることにしました。
【大船渡線 乗車記】東日本大震災で鉄路が分断された路線の現在は?
一ノ関駅から大船渡線に乗車
旅の始まりは一ノ関駅。
岩手県一関市の代表駅で、東北本線や大船渡線の他、東北新幹線も乗り入れています。
ここから大船渡線に乗車し、終点の気仙沼駅を目指していきましょう。
なお今回は乗り放題切符の代名詞、青春18きっぷを使っての乗車。
JRの普通列車に加えBRTにも乗車可能なので、気仙沼駅から気仙沼線BRTや大船渡線BRTにも乗り継げます。
JR東日本仙台支社では「小さな旅ホリデー・パス」というお得な切符を販売していますが、大船渡線には乗車できません。
かなり間違えやすい区間なのでご注意を!
まあ大人の事情があるんでしょう、こればかりは仕方ない。
出発の15分ほど前になると、大船渡線の列車は3番線ホームへ入線。
車両はJR東日本のローカル線でよく見かける、キハ100系という気動車。
2両編成の車内には、各車両10人いるかいないか程度でした。
車内は2~4人掛けのボックスシートとロングシートが組み合わさった、セミクロスシート。
各車両の両端にドアがあり、ワンマン運転のため基本的に1両目の後ろから乗車するシステムです。
降車時は1両目の前ドア、つまり運転士さんのすぐ後ろのドアから降りるようになります。
【一ノ関駅~陸中門崎駅】のどかな田園地帯を進む
定刻通りに大船渡線は一ノ関駅を出発。
程なくして列車は左へと大きくカーブし、東北新幹線の高架橋を抜け田園地帯を進みます。
最初の停車駅、真滝駅に到着。
無人駅ではあるものの、列車交換が可能になっており、外には比較的大きめな待合室もありした。
陸中門崎駅に到着。
今ではほとんど見られなくなったホーロー駅名版が設置されていました。
SL銀河に乗車した際もそうでしたが、岩手県は全体的にホーロー駅名版が比較的多く残っているように感じます。
【陸中門崎駅~千厩駅】ドラゴンレールの由来にもなった区間
陸中門崎駅~千厩駅間は「ドラゴンレール」の愛称の由来となった区間のひとつ。
地図を見るとわかるように、線路とほぼ並行する国道284号線はまっすぐ進んでいることに対し、大船渡線は陸中門崎駅から北側に大きく迂回していきます。
なんでも建設当初の計画では、陸中門崎駅から摺沢駅などを経由せず、国道のようにまっすぐとしたルートとなるはずだったそう。
- 摺沢から立候補した政治家が当時の総選挙で当選したことで、摺沢を経由するルートに変更される
- その後、千厩も通るルートに計画が変更される
以上のような経緯があり、現在のような曲がりくねったルートが誕生したんだそう。
この行為を我田引水ならぬ「我田引鉄」と呼称しているようで、大船渡線はその代表例としても一部では有名なのです。
一関と沿岸部を最短で結ぶ機能は果たせなかったものの、現在のルートになったことで
- 旧東磐井地域の中でも最多人口だった旧大東町
- 石灰石資源・観光地の猊鼻渓を有する旧東山町
以上の地域を経由することになり、必ずしもマイナス面ばかりではなかったそう。
鉄道の生まれた背景を紐解いていくと、当時の時代背景が大きく影響していたりなど、歴史的に重要な出来事がよくあったりします。
やはり鉄道と歴史は切っても切り離せないものなのでしょうね。
岩ノ下駅付近の車窓。
周辺では重機などもいくつか確認できました。
何か新しく建設しようとしているのでしょうか。
岩肌が丸見えです。
陸中松川駅に到着。
1986年の猊鼻渓駅開業までは、旧東山町および猊鼻渓の最寄り駅でした。
駅構内は2面3線と広く、週末にはポケモントレインも停車します。
猊鼻渓駅。
陸中松川駅に比べ、こちらは単式ホーム1面1線を有するコンパクトな駅。
1986年の開業以降は、当駅が旧東山町の中心駅としての役目を担っていました。
岩手県を代表する観光地「猊鼻渓」の最寄り駅でもある猊鼻渓駅。
駅前にはお土産屋さんらしき建物もいくつかあるようでした。
摺沢駅に到着。
大船渡線は当駅を経由するために大きな迂回ルートができた路線で、駅前にはその発起人となった政治家の像が建っています。
相対式ホーム2面2線を有する沿線の主要駅のひとつですが、2022年3月12日より終日無人駅となりました。
ホームの端っこに鎮座するポケモン像。
大船渡線では週末にポケモントレインが走っており、摺沢駅は停車駅のひとつになっています。
摺沢駅を出発すると、列車は南側へ大きくカーブし千厩駅を目指します。
摺沢駅~千厩駅間は約9kmほどの距離があり、この長さは沿線では最大の駅間距離なのだそう。
しかしスピードはそれなりに出ているので、10分経つか経たないかくらいの時間で千厩駅です。
千厩駅に到着。
沿線では主要駅のひとつに数えられ、周辺には高校や病院もありました。
当駅で竜のようなうねりも終わり、ここからは再び国道284号線と並行して気仙沼方面へと至ります。
【千厩駅~新月駅】田園地帯や山奥をゆっくり進む
千厩駅を出発した大船渡線。
住宅街をゆっくり抜けたのち、再びのどかな田園地帯を走ります。
小梨駅に到着。
現在は1面1線の単式ホームですが、以前は列車交換が可能な駅だったのでしょうか。
向かい側にはもう使われていないホーム跡が確認できました。
矢越駅。
田んぼのど真ん中にひっそりと佇む、まさに世間が思い描くような田舎の無人駅という印象です。
折壁駅。
相対式ホーム2面2線を有する駅で、1992年11月までは有人駅だったそう。
旧室根村の中心駅ということもあり、周辺には住宅が目立ちました。
新月駅。
ブロックで造られた簡易的な駅舎がぽつんと建つ無人駅です。
駅名は旧新月村(現在の気仙沼市新月地区)に由来しているそう。
ただ駅自体の場所は岩手県なんですよね。なんとも不思議。
新月駅出発後は、力強いエンジン音を響かせながらしばらく山奥や田園地帯を進みます。
次は終点の気仙沼駅だというのに、そんな気配も一切ありません。
ちなみに新月駅の約80mほど東側には岩手県と宮城県の県境があるため、出発後すぐに宮城県気仙沼市へと入ります。
これ…つまり終点の気仙沼駅以外は、全駅が岩手県一関市内にあるということですよね。
さすが日本一デカい県。市の広さも段違いです。
徐々に気仙沼の市街地が見え始め、気仙沼線BRTの道路と並走。
終点の気仙沼駅はもうすぐそこです。
気仙沼駅より先は東日本大震災以降BRTに転換
一ノ関駅から約1時間半、大船渡線は終点の気仙沼駅に到着。
気仙沼駅は、道路と線路が同一ホーム内にある少し変わった駅。
元は線路だった敷地を道路として整備しているので、このような形になっているわけですね。
同じホーム内で乗降可能なので、乗り換えは何ら不便なくできました。
隣のホームに停車するのは、大船渡線BRT。
かつては一ノ関駅から気仙沼駅を経由し、盛駅までの100km以上の区間を結ぶ路線だった大船渡線。
気仙沼駅~盛駅は東日本大震災の影響で鉄路が絶たれ、現在はバスでの運行となっています。
2020年4月にはBRT区間の鉄道事業廃止が正式に決まったため、残念ながらもう鉄道が戻ってくることはありません。
しかし鉄路が絶たれても、車窓の絶景は健在。
実際に利用してみて、BRTならではのメリットも数多くあると筆者は感じます。
本音を言えば、鉄道が戻ってきてほしかったというのが一番です。
ただそれでも、今残っているもの、これから生まれていくものに目を向けつつ、街の移り変わりを見守っていきたいと思っています。
やっぱりこの街が好きなので。
【大船渡線 乗車記】東日本大震災で鉄路が分断された路線の現在は?|まとめ
以上、今回は「【大船渡線 乗車記】東日本大震災で鉄路が分断された路線の現在は?」という内容でお届けしました。
東日本大震災から11年。
沿岸部の風景は徐々に変わりつつあります。
鉄路の一部は断たれたものの、今も地域の足として住民を支えている印象を抱きました。
BRT区間の利便性も向上しつつありますし、三陸の鉄道旅のお供にぜひ利用していただけたらと思います。